2016年に政治家へと転身した、今井絵理子さんの若い頃をご存知でしょうか?一世を風靡した「SPEED」のメンバーだったこともあり、注目している人もいるようですね。
そこで今回は、今井絵理子の若い頃についてや、政治家になった理由・経歴について調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
このページの目次
今井絵理子の若い頃は何してた?
今井絵理子の若い頃が気になりませんか?4人グループ「SPEED」のメンバーとして、活躍していた頃を探ってみましょう。「SPEEDのデビューと解散」や「SPEED・今井絵理子の活躍は?」について紹介します。
SPEEDのデビューと解散
今井絵理子の若い頃は、SPEEDのメンバーとして1996年にデビュー。絶頂期の2000年3月31日に、結成から3年8か月で解散しています。SPEEDが解散した1番の原因はメンバーの異性関係と言われ、詳細は以下のとおりです。
- 上原多香子:ISSAと半同棲
- 今井絵理子:同級生との熱愛報道
- 島袋寛子:同事務所の男性タレントと交際
島袋さんの交際が事務所に知られ、相手の男性タレントが解雇されたことが事の発端。激怒した島袋さんがSPEEDを辞めると言い出し、話がまとまらずに解散したとされています。
SPEED・今井絵理子の活躍は?
今井絵理子が所属したSPEEDは快進撃を続け、3年8か月の間にリリースした作品は、以下のとおりです。
- シングル:11枚
- アルバム:6枚
- ミュージックビデオ:4本
商品のトータルセールスは386億円で、約3000万枚を売り上げました。また、紅白歌合戦にも4回出場しています。
今井絵理子としても活躍し、活動内容は以下のとおりです。
- 2000年「NINAGAWA火の鳥」初舞台
- 2001年度ゴールデン・アロー賞演劇部門新人賞を受賞
稲川幸雄演出の舞台「NINAGAWA火の鳥」では、ロミ役・ヒロミ役の2役を演じました。
今井絵理子が政治家になった理由
今井絵理子が政治家になった理由は、先天性難聴を抱える息子と共にボランティア活動をしていた際、山東昭子現参議院議長から声を掛けられたことがきっかけです。
参議院議員の被選挙権は30歳からであり、当時の今井さんは32歳だったことから非常に若かったと言えます。見事に当選した今井さんですが、議員としてゼロからのスタートだったため、自身と同じ境遇の人たちの声を政策に反映したい一心で取り組んだとされています。
今井絵理子の経歴は?
今井絵理子の経歴を、知りたくないですか?若い頃から現在まで、どんな経験をしてきたのかを探ってみましょう。学歴や経歴について紹介します。
学歴
今井絵理子の学歴は、以下のとおりです。
- 沖縄県那覇市立宇栄原小学校・卒業
- 沖縄県那覇市小禄中学校・転校
- 品川区立日野中学校(東京都品川区)編入・卒業
- 八雲学園高等学校(東京都目黒区)卒業
今井さんは小学生の頃に沖縄アクターズスクールに入所し、歌やダンスをスタートさせます。高学年の頃には先輩の安室奈美恵さんからも指導を受けたようです。
中学1年生で4人組グループ「SPEED」としてメジャーデビューし、すぐに「Body&Soul」が大ヒットしました。
経歴
今井絵理子の経歴は、以下のとおりです。
- 1983年:9月22日沖縄県那覇市に生まれる
- 1996年:SPEEDとしてデビュー
- 2000年:SPEED解散後にソロ活動
- 2004年:長男出産
- 2008年:息子の聴覚障がいを24時間テレビで公表
- 2016年:参議院議員に初当選
24時間テレビで障がいは個性であり、不幸ではないことを手話で伝えた今井さん。NHK「みんなの手話」の司会を務め、ボランティア活動を行いました。
2016年には参議院議員に初当選。その後、内閣府大臣政務官やさまざまな役職を歴任しています。
まとめ
今回の記事では、今井絵理子の若い頃を中心に、政治家になった理由・経歴などをご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
中学1年生の頃に「SPEED」としてデビューしていたことに驚きましたが、現在は政治家として活動しているようですね。さまざまな役職を担っている今井絵理子さんの、今後の活躍に期待しましょう!