今年3月に開催されたワールド・ベースボール・クラシック。『侍ジャパン』こと、日本チームの優勝に日本中が沸いたのも記憶に新しいですが、その勢いに続けとばかりにシーズンがはじまったアメリカのメジャーリーグにおける日本人選手の活躍には目をみはるものがあります。
最近では野球ファンの中でも試合をただ観戦するだけでなく、bet365 ボーナスコードを使って楽しむという方も増えてきたと言われています。世界を舞台に日本人選手が活躍する姿を見られるのは、日本のスポーツファンにとっては嬉しいものですが、そこに至るまでには当然ながら多くの日本人選手たちの挑戦の歴史があります。今日のメジャーリーグでの日本人選手の活躍の基盤を作ったとも言われている一人の選手がいます。
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トルネード投法
1995年、一人の日本人投手がアメリカのメジャーリーグの一球団であるロサンゼルス・ドジャーズでデビューします。それが野茂英雄選手です。ピッチャーズマウンドで大きく振りかぶり、打者に背中を見せるまで大きく身体を捻り、そこから一気にボールを放つという彼の独特の投法は、日本の球団に所属していた当時から『トルネード投法』と呼ばれ、メジャーリーグでも『The Tornado』の愛称で親しまれました。
パイオニア的存在
野茂選手がアメリカのメジャーリーグに移った当時は、現在のようにポスティングシステムがなかったこともあり、様々な意味で困難が多かったと言われています。結果、任意引退という、日本での名声を手放す形で日本の球団を離れ、マイナー契約からアメリカでスタートせざるを得なかったのです。しかし同年には見事、メジャーに昇格。そこから破竹の勢いで活躍していくこととなるのです。
メジャー123勝
メジャーに昇格を果たすと、初シーズンで新人王を獲得、翌年にはノーヒット・ノーランを達成します。その後、肩の故障などに悩まされ、移籍を繰り返しながらもメジャーで活躍し続け、2001年には当時在籍していたレッドソックスで2度目となるノーヒット・ノーランを達成しました。これはアジア人選手としても史上初の快挙でした。こうして数々の偉業を成し遂げた野茂選手は、2008年に現役を引退することとなります。
しかし野球への情熱は冷めることなく、引退後も社会人野球チームの代表を務めたりする他、2016年からはサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任するなど、現在も様々なところで存在感を発揮しています。
アメリカのメジャーリーグに残した記録はもちろんのことながら、それ以上に今も日本の多くの野球選手から尊敬され、賞賛されている理由は、やはり野茂選手がメジャーリーグへの道を自ら切り拓いていったからなのではないでしょうか。彼がいたからこそ、その後のメジャーリーグでの日本人選手の活躍を見ることができたと言っても過言ではないのかもしれません。