日本では公営競技のひとつとして、長く不動の人気を誇る競馬。颯爽と疾走していく美しい馬たちの姿は、いつの時代も人々を魅了してやみません。そしてそこには必ずと言っていいほど、個性的な馬たちと、彼らを取り巻く騎手やトレーナーたちとの、胸を打つ熱いドラマが存在しています。
最近ではわざわざ競馬場まで足を運ばなくても、自宅や離れた場所からでもオンラインで気軽に競馬ベッティングができるようになりました。これからご紹介する、日本の競馬史上に燦然と輝く伝説の名馬『ディープインパクト』と、彼が残した軌跡を辿りながら、多種多様なスポーツベッティング・オファーなども利用して、競馬を楽しんでみませんか?
偉大な父馬の子として誕生
ディープインパクトは、2002年3月25日、北海道勇払郡早来町(現在の安平町)のノーザンファームで誕生しました。父馬はアメリカにおいて『アメリカ三冠』とも称される二冠(ケンタッキーダービー、プリークネスステークス)をはじめ、ブリーダーズカップ・クラシックでも勝利を上げるなど、G1を6勝する活躍を見せた名馬・サンデーサイレンス、母馬はアイルランドからやってきたウィンドインハーヘアでした。しかし誕生時は体のバランスは良かったものの、他の馬と比較して目立って良い点があるわけではなかったと言われています。また、現役時代を通してみても、一般的なサラブレッドに比べて小柄な体型をしていました。馬体が小さいと、レース中は他馬に揉まれることなって弱いと危惧されていましたが、反面、大型馬よりも故障のリスクが小さいという利点もありました。
鮮烈なデビュー
やがて栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入厩することとなったディープインパクトは、競走馬としてのトレーニングを受けていくこととなります。そして2004年12月に、阪神競馬での新馬戦(芝2000メートル)にて、武豊騎手を据えてデビュー。他の馬を寄せつけない圧倒的な走りで、初のレースにして初の勝利を飾ります。そして続く2戦目となった、2005年1月に京都競馬場で行われた若駒ステークスでも圧勝。競馬ファンをはじめとした競馬関係者に強烈な印象を残すこととなったのです。
空駆ける馬
こうして鮮烈なデビューを果たしたディープインパクトは、その後も快進撃を続けていきます。圧倒的1番人気で迎えた2005年の皐月賞(GⅠ)では、2着に2馬身半差をつけて大勝利をあげます。続く二冠目の東京優駿(日本ダービー・GⅠ)では直線大外に持ち出すと5馬身差の圧勝をみせつけ、三冠最後のレースである菊花賞(GⅠ)でも、残り100メートル付近で先頭に並ぶと、そのまま2着に2馬身差をつける圧勝。これは名馬・シンボリルドルフ以来、まさに21年ぶりとなる無敗のクラシック三冠を達成した瞬間でした。
翌2006年も春の天皇賞(GⅠ)、宝塚記念(G1)、ジャパンカップ(GⅠ)、有馬記念(GⅠ)で勝ち続け、2年連続でJRA賞年度代表馬に選出されるなど、他に類を見ない輝かしい記録を打ち立てていきました。その見事な走りを、武豊騎手は「走っているというより、飛んでいるような感じ」と称しました。
穏やかで優しいお坊ちゃま
レースにおいては他の馬に負けまいと疾走するディープインパクトでしたが、普段はサラブレッドにしては珍しいほど、気性のおとなしい、優しい馬だったと言われています。人間が好きで、厩舎では「お坊ちゃま」の愛称で呼ばれるほど、穏やかな性格をしていたそうです。2006年からは競走馬としては現役を引退し、その後は種牡馬として、北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで第二の人生を歩むこととなりました。種牡馬時代の担当厩務員からも、他の馬と異なり、ディープインパクトは人と対等に向き合う気さくな性格の馬だったと評価されています。こうして現役時代の伝説と共に、種牡馬としても次世代に優秀な血筋を残していくこととなったディープインパクトでしたが、2019年7月に、骨折が原因で惜しまれつつもその人生を終えることとなりました。突然の訃報に競馬ファンのみならず多くの人々が衝撃を受けて悲しむと共に、その輝かしい記録を改めて褒め称えました。また、それは日本国内のみならず、凱旋門賞に参戦したフランスのメディアでも「日本において競走馬という枠を超えた特別な存在だった」と報道されるほどでした。
今も昔も、ディープインパクトを越える名馬はまだ現れていないと言われるほど、日本競馬史に大きな軌跡を残したディープインパクト。その走りに想いを馳せながら、あなたも競馬を楽しんでみませんか?